December 07, 1998

コタツ

絵 ワタシの家は、3年ほど前に市の区画整理の関係で建て直しをしたのだが、その時何が嬉しかったって、掘り炬燵があることだった。
 掘り炬燵は、子供時代のアコガレだった。
 子供時代にワタシが座れる掘り炬燵があったのは、ハハの実家だけであった。年に一度、正月にしか行かない場所であり、しかもその正月には何十人もがその家にひしめくため、必ず掘り炬燵に座れるとは限らない。そんなギャンブル性が、更にアコガレをかき立てていたと思われる。
 そのアコガレの掘り炬燵が、ついにワタシが「いつでも座れる我が家」にやってきたのである。もちろん、掘り炬燵と言っても熱源は電気だし、夏はその上に板をはめ込むことで、普通の床になるという極めて現代的な掘り炬燵だ。それでも「掘り炬燵である!」という事実だけでワタシは十分シアワセだった。
 ところが!
 なんとワタクシは、それほど興奮し、喜んだにもかかわらず、この掘り炬燵の「掘り」の部分に、すでに2年以上足を踏み入れていないのである!何故か!?
 なんて盛り上げる必要はないんだけど。理由は簡単。御年2才の姪御様がいらっしゃるからである。まだ訳も分からない姪が走り回って誤って落ちたり、潜り込んでモシモのことがあってはイケナイからと、ワタクシのハハが板を外すことをヨシとしてくれないからなのである。
 もちろんコタツがなくても十分暖かいように暖房器具はあるのだが、やはり布団を掛けてのコタツであろう。
 昨年の冬を、ついにコタツに足を入れずに過ごしたワタシとしては、もうガマンも限界。渋るハハに妥協策として「掘り」にしないで布団だけ掛けてはいかがなものかと提案し、なんとかお許しをいただいたのである。
 そんなわけで、今年もアコガレの「掘り」の部分はオアズケの様相だ。我が家にあってさえも必ず座れるとは限らない…これぞワタシをトリコにする掘り炬燵のギャンブル性なのだろうなあ。

By kumi at December 07, 1998
21世紀になってスズキになったマスダのヒトコト

 現在の家にもコタツはありませぬ。現在実家でもやっぱり出しておりませぬ。
 そういうわけで、人様の家に行ってコタツを発見すると、進められもしないのに勝手に入ってぬくぬくしているので、ワタシを家に招くコタツ持ちのヒトは注意だ。

By: kumi at May 25, 2003
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