March 25, 1998

具体と抽象

絵 我が家には、御年2才にならんとしている子供がいる。ワタシの姪である。
 一日中家にいることの多いワタシは、この姪の成長を結構アタタカク見守っているのであるが、最近の彼女の脳味噌の発達には本当に驚かされる。
 姪はかなり「よくしゃべる」方だと思うのだが、最近ちょっとした文章を喋るようになってきたので、余計に聞いている方は笑っちゃうようなことを言う。食事中に癇癪を起こして奇声を発したかと思うと「怒ってる!」と自分で宣言したり、階段に取りつけてある子供よけ(?)の扉の向こうにいるネコに向かって「カルちゃん(ネコの名前)、出ておいで」と呼びかけてみたり、ちょっとしたギャグマシーンである。
 しかし、よくよく観察してみると、一つ不思議なことがある。
 普通「言葉の定義」は、具体的なものをいくつも積み重ねていってだんだん抽象的な総称に辿り着くものだと思っていた。だから、子供が言葉を覚えるときも当然、いろんな種類のネコを見て、それを根気よく「コレもネコ、アレもネコ」と教えていくことによって「ネコという集まり」を理解するのだと思っていたのね。
 ところが、姪の様子を見ていると、必ずしもそうではないようなのだ。かなり早い時期から「イヌ」と「ネコ」を完全に見分けていたし、家でワタシたちが飲んでいるビールを見て覚えた「ビール」という言葉を、テレビ画面のビールに向かって連発したりする。
 まだ完全ではないが、「色」の概念もかなり発達している。「これはなあに?」などと判らないものを指さされたりすると、「赤」とかいって色に逃げたりするから大したものだと思う。
 ということは、子供の脳味噌は、いきなり「抽象的総称」を受け入れることができるような構造になっているのだろうか?すると子供の脳味噌は演繹法で構成されているのか!?
 なーんてなことを考えながら、今日も姪のギャグに酔いしれるワタシだった。

By kumi at March 25, 1998
21世紀になってスズキになったマスダのヒトコト

 今、まさにこのへんを我が子で追体験しているわけだけど、今のところ彼(2歳)の脳みそは「具体」で構成されてるみたいだ。どの辺から「抽象」が先立つのか、これからがちょっと楽しみ。

By: kumi at May 25, 2003
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